Buddysの生き様

デフ卓球日本代表 亀澤理穂

「私は耳が聞こえません」

幼稚園の頃は口話中心のろう学校に通っていました。でも、小学4年からは普通校へ。

当時はまだ障がいへの理解が今ほどなくて、「なんで聞こえないの?」と好奇心やからかいの目で見られることが多かった。みんなの笑い声の理由が分からないときは、自分だけ取り残されているようで苦しかったです。

そんなある日、みんなの前で自分のことを話す機会がありました。胸がドキドキして手も震えていたけれど、勇気を出して言いました。

「私は耳が聞こえません。」

一瞬、教室が静かになりました。でも、そのあと「手話を覚えたい」と言ってくれる友だちが現れて。少しずつ輪の中に入れるようになったんです。

“伝えることは怖い。でも、伝えたからこそ分かってもらえた。”

あの経験が、今の私の大きな支えになっています。

憧れが目標に変わった瞬間

卓球を始めたのは小学1年生のときです。両親が卓球をやっていた影響で、小さい頃から身近にラケットとボールがありました。自然と「自分もやってみたい」と思うようになったんです。

最初は遊び感覚でした。でも、打ち合いが続くたびに楽しくなって、気づけば毎日のように卓球に向き合うようになっていました。

中学1年になると、デフ卓球協会からある合宿に声をかけてもらい、中学2年から本格的にデフ卓球にも集中するようになります。そして中学3年のとき、初めて出場したデフの大きな大会で結果を残すことができました。

あの時、結果を残した時の感情は、今でも忘れられません。

「私、日本代表になれるかもしれない。」

それまでただの憧れだった“代表”が、この瞬間から本気で追いかける目標になったんです。

強豪校での試練

高校は、全国でも名門校に進学。
健常者の強豪選手たちに囲まれての練習は想像以上に厳しく、相手の速さや力に押されて悔し涙を流す日もありました。

それでも、「デフ卓球で金メダルを」という思いが支えになり、毎日ラケットを握り続けました。

大学は東京富士大学へ進学。

大学1年で迎えた台北2009デフリンピック。
初めての舞台で、私は団体で銀メダル、シングルスで銅メダルを獲得しました。メダルを首にかけた瞬間の高揚感は今でも忘れられません。でも同時に、「次こそは金を」と心に刻んだんです。

しかし、卓球中心の寮生活は、携帯やSNSの使用も制限され、練習と勉強だけの日々。容赦のない練習に体がついていけず、倒れて救急搬送されたこともありました。

練習に出られなくなったこともあり、「もうやめたい」と心が折れそうになっていました。

それでも、そのたびに家族や仲間がかけてくれた「一緒に頑張ろう」という言葉に背中を押され、再びラケットを握ることができました。

一人では戦えない。そう痛感したのが、この高校と大学での時間でした。悔しさ、メダルの重み、そして仲間からの支え。このすべてが、今も私を支える土台になっています。

引退、そして復帰

大学を卒業してからは、卓球と関係のない会社に就職しました。

ただ、選手として試合に出るためには有給が足りないし、遠征費や用具代はすべて自腹。現実は想像以上に厳しくて、二度目のデフリンピックを終えたあと、私はラケットを置きました。

「普通の生活をしてみたい」
そう思ったんです。

でも、自由な時間を楽しむつもりが、気づけば遊びすぎて体重は10kg増。鏡に映る自分を見て「これはまずい」と思い、ダイエット目的で久しぶりにラケットを握りました。笑

久々にした卓球は、

「やっぱり楽しい!」

ボールを打つ感触に、自然と笑顔が戻っていました。
軽い気持ちで出場したデフの全国大会で優勝したとき、決意ははっきりしました。

「忘れ物の金メダルを、必ず取りにいく」

引退の空白を経て、卓球が自分にとって欠かせない存在だと、改めて痛感した瞬間でした。

そしてこの頃、娘にも恵まれました。ラケットを置いた時間があったからこそ、「母として」「一人の女性として」どう生きたいかを考えるきっかけにもなったのです。

ママアスリートとして

子どもを産んでからの挑戦は、また別の難しさがあります。

自分の悔しさよりも、まず子どもを優先すること。
予定どおりに動けないのが当たり前で、体力や体重の管理も思うようにいかない。

家族からは反対もされました。でも、覚悟を言葉にして伝えたら、父が背中を押してくれたんです。

私は頼るのが苦手でした。でも「頼らないと自分が潰れる」と分かってからは、素直に助けを求めるようになりました。

そして今は、娘の存在そのものが大きなモチベーションです。金メダルで恩返しをする。そのメダルを、まずは娘にかけたいんです。

今、迷っている人へ

私がいちばん伝えたいのは、これです。

自分がやりたいことを、納得するまでやってほしい。

続けるのも、区切るのも、どちらが正しいかは人それぞれ。大事なのは、自分で選ぶこと。そして、その選択に“自分で納得できているか”どうか。

楽しいこともあれば、苦しいこともある。むしろ、その両方があるからこそ、あとで振り返ったときに「幸せだったな」って思えるんだと思います。

良いことばっかりだと、逆にちょっと怖いじゃないですか。上がれば下がるし、晴れたらまた雨も降る。その波ごと、まるっと抱えていく感じで。

迷ったら、周りを頼っていいし、立ち止まって深呼吸してもいい。続けるなら、自分のペースで。やめるなら、「ここまで支えてくれてありがとう」と感謝を込めて区切ればいい。

最後にもう一度。

【自分がやりたいことを、納得するまで。】

それでいい。私はその気持ちで、娘に金メダルをかけられる日まで、挑戦を続けます。

挑戦に、
    香りの相棒を。




なりたい自分になるために、
挑戦をどれだけ繰り返してきたか?

うまくいかない日も、前に進めた日も、
その一歩一歩が未来をつくる。

Buddyの香りは、
「次の一歩」を踏み出す勇気を与えてくれる相棒です。