Buddy's(Buddy購入者)の挑戦

「バグれ」ーー自由に生きるための選択を

芸人・経営者 赤羽孝太

「飛行機のチケットを買った瞬間、全部変わったんですよ。」

1997年、静岡県で生まれました。今(取材日)はカナダのモントリオールへ人に会いに来ています。仕事はSNS発信したり、コーチングをしたり、ノマドワーカー講座をやったり、ときどき芸人としても活動しています。

自由に生きてるように見えるかもしれないけど、ここまで来るまでの道のりは、けっこう遠回りだし、しんどいこともたくさんあったんです。

野球少年から「人の人生を生きる」自分へ

小学生の頃からの夢は、甲子園に出場することでした。

野球一筋で、小・中・高とひたすら練習に打ち込み、気づけば生活の中心はずっと野球。中学時代はレギュラーで4番を任されました。

けれど、その裏側では常に「人にどう思われるか」を気にしながら過ごしていました。

厳しい指導者に怯え、そして自分よりも優秀な幼なじみの存在と比較され続ける日々。

「自分は他人より活躍できているのか」
「チームに貢献できているのか」

そんな評価基準ばかりを気にして、自分の価値をいつも外側に置いてしまっていたのです。

そして迎えた高校最後の夏。強豪だったため、高校ではレギュラーの座を手に入れることはできませんでした。

代わりに監督から任されたのは「三塁コーチャー」という、チームの勝敗を左右する大事なポジション。

技術ではなく、観察力やチーム全体を見る力を評価されての抜擢でした。
最初は悔しさもありましたが、そこで初めて「競争ではなく、チームの勝利を願う」という気持ちが芽生えます。

「自分の役割を果たすことで、仲間を支えることができる」。そう心から思えたとき、プレーヤーとしてではなく、一人の存在としての誇りを感じることができたんです。

「人を支えること」「個人ではなく全体のために動くこと」の意味を、野球を通して体で学んだ瞬間でした。

教員免許を取りながらも「先生にならない」と決断

大学では体育教員免許を取得し、教員採用試験を目指していました。

しかし、4年生の時に出会ったドミニカ共和国での交流プログラムが、人生を大きく変えます。

野球を通じて触れた中南米の文化や人々の明るさに強い刺激を受け、「もっと広い世界を知りたい」と思うようになったのです。

それまでの4年間、教員になるため朝5時から勉強に打ち込み、人生で一番努力してきた時期でした。それを手放すのは怖さもありましたが、「自分のために先生になろうとしているのか、それとも周囲の期待に応えようとしているのか?」と自問したとき、自分の答えは後者に傾いていました。

だからこそ、あえてレールを外れ「先生にならない」という決断をしました。

コロナ禍とどん底

学卒業と同時に訪れたコロナ禍。
海外への挑戦は白紙、就職もしていない、何もない状態からのスタートでした。
清掃のアルバイトをし、知り合いの家に居候させてもらいながら、なんとか生き延びる毎日。

けれどそんな生活は長く続かず、人間関係や金銭トラブルも重なって心は限界を迎えました。
病院に行く気力すらなく、外にも出られない。
振り返れば、あの頃は間違いなく“うつ状態”だったと思います。

真っ暗なトンネルの中で、「俺はこのまま終わるのか」と思った時期もありました。

映像との出会いがくれた光

そんな中で支えてくれたのが、当時の彼女や友人たちでした。
ある日、その友人から「結婚式のオープニングムービーを作ってほしい」と頼まれたんです。

編集の知識も機材もほとんどない。
報酬もわずかで、交通費を考えたら赤字。
それでも「やってみよう」と引き受けて作った映像が、結婚式で流れた瞬間、会場から「ありがとう」と心からの感謝の言葉をもらいました。

そのとき初めて、「自分の力で人に喜ばれる」喜びを全身で感じたんです。
あの瞬間こそ、真っ暗な日々に差し込んだ光でした。

映像はまだ仕事にもなっていない、技術も足りない。
でも、「これを続けてみたい」と思えるだけの力が、その小さな経験にはありました。

「チケットを買う」ことで人生が変わった

結婚式の映像をきっかけに、自分の力で人に喜ばれる経験を積み重ねる中で、少しずつ自信が戻ってきました。

映像の仕事も少しずつ増え、何かが変わるかもしれない。そんな手応えを感じはじめました。

そして25歳のとき、ずっと心にあった夢に改めて向き合いました。

「いつかドミニカに行きたい」


そう思い続けてきたけれど、実現できずに何年も過ぎていた。
でも、このままでは一生「いつか」で終わってしまう。
そこで思い切って、ドミニカ行きの航空券を購入しました。
その瞬間から、すべてが変わりました。

「いつか」ではなく「行く」と決めたことで、未来の予定が確定し、そこから逆算して今やるべきことがはっきり見えるようになったんです。
ビジネスにも力が入り、SNS発信も習慣になり、Instagramのフォロワーは3万7千人を超えるまでに成長。
たった一枚のチケットが、未来を動かすスイッチになり、そして「今を本気で生きる力」を与えてくれました。

世界に拠点を持ち、人とつながる

結婚式の映像、そしてドミニカへのチケット購入。

あの経験を通じて実感したのは、「人生は自分で決めれば必ず変わる」ということでした。
だからこそ、これからは自分が歩んできた道のりを通して伝えていきたいんです。

「世界は思っている以上に広い」
「人生は自分の手でつくっていける」
そのメッセージを必要としている人に届けたい。

そして、世界のあちこちに拠点を持ち、仲間が集まって語り合い、寝泊まりし、互いに刺激し合える空間をつくる。それが、今の僕の大きな目標です。

迷っている人へ伝えたい言葉

最後に、挑戦するかどうか迷っている人、不安で一歩を踏み出せない人へ。

僕から伝えたい言葉はひとつ。


「バグれ。」


世間から僕は「バグってる」と言われるかもしれません。

でも、本当は違います。

自分の欲求や感情に素直に従って生きることこそが、むしろ“正常”なんです。

逆に、人の目を気にして本心を押し殺し、誰かの期待に合わせて生きることの方が、よっぽど「バグ」だと思います。

未来を変える方法は、じつはとてもシンプルです。

『予定を変えること。』

僕がドミニカ行きのチケットを買った瞬間に人生が動き出したように、まず一歩を「決めてしまう」こと。

そうすれば、今やるべきことが自然と変わっていきます。
どうせなら、自分の人生にバグを起こしてみませんか。

きっとそこから、本当の自由が始まります。

挑戦に、
    香りの相棒を。




なりたい自分になるために、
挑戦をどれだけ繰り返してきたか?

うまくいかない日も、前に進めた日も、
その一歩一歩が未来をつくる。

Buddyの香りは、
「次の一歩」を踏み出す勇気を与えてくれる相棒です。